
序文
SEO対策は嫌いだ。
なぜならば、過去の業務経験にてアクセス数を伸ばすという題目で全くの未経験からページ更新を業務の一部として命じられたから。
結果としてWordpressの運用の基礎やGoogleアナリティクス、SEO対策の基礎についての経験値が手に入ったと同時、WEBにおける広告とエンゲージメントのしょうもなさが嫌いになった。生業として広告や広報を企画してきちんと成果を出し続けているマーケターは尊敬する。
企業はインターネットを辞めろ。
SEOって?
サーチエンジンオプティマイズ、SEO、検索エンジン最適化。
つまり、検索表示対策。
つまり、アルゴリズム対策。
つまり、エンゲージメントを得るための闘い。
この時代はSNS全盛期、そして生成AIの誕生と高性能化。ユーザーは膨大で、同時にエンゲージメントの獲得競争も苛烈化している。
エンゲージメントを獲得する事について、いつ頃からかアルゴリズム対策やSEO対策が注目されるようになった。
これは、言ってしまえばアクセス稼ぎ。しかし否定されるべき事でもない。なぜ? どうせなら見て欲しい。そうじゃないならチラシの裏にでも書き捨てればいいのだから。
しかし、SEOへの対策が一般していく中で、その対策は必要性に駆られた物だったとしても弊害を生み出していく。
SEO対策の必要性
端的に言えば、検索を行うユーザーに対する検索結果リストに表示され、その表示順を上げるために必要になる。
そして、そのリストから選び出されるためにも。
背景として――一切の関心を不要だと断じる奇特なサイト運営者を除けば
通常、オンライン上にコンテンツを公開する時、それは誰かに共有したいという意識があるからにほかならない。
また、それが個人のWEBサイトかSNSサービスであるにしろ、運営の維持には一定のリソースが必要であり、その負担は個人にとっても、事業として資金投入のあるサイトではより切実な課題だと思う。
負担の解決法として収益化を目指すならアクセス数を増やす事が絶対に重要であり、広告収入やアフィリエイト、場合によっては購読や投げ銭や案件。すべて一定のアクセス数が前提になる。
金銭が目的でなくとも、何らかのコンテンツを公開共有する時には絶対に誰かの反応をどこかで期待しているのだから。
必要性が生んだ必然的な問題
SEO対策として、現在は定石化された一定の方法が存在するが、有効な反面で悪い側面も存在している。
検索結果がSEOに最適化されているかどうかに左右され、検索に対して有効なコンテンツであるか、各サイトや投稿が質面で真に閲覧者にとって好ましい内容であるかを取りこぼす可能性がある。
現に役に立たない商品紹介コンテンツが氾濫しているし、政治色の強いまとめサイトやインフルエンサーに対しオールドメディアの影響力が低下している事は、それぞれ功罪合わせつつもそれぞれが対プログラム、対人間に対策を行った結果と言える。
検索結果を任意に操作する事は不可能だと思うが、現実として一定のSEO対策の定石を抑えた(であろう)ページやコンテンツがアクセスやエンゲージメント、インプレッションを得ていく中、模倣と競争によって内容を最適化しており、結果として似たような表現をもたらすのかもしれない。
SEO対策―機械と人の目奪う唾棄すべき表現たち
SEO対策は主に検索エンジンの巡回BOTに対するものがベースとしてオンラインでのユーザーが見えない部分での対策(サイトの応答性やセキュリティ面の信頼性、リンク構造、被リンクによるページの権威付け)のほか、ユーザーに対する訴求力を高める対策が複合的に含まれる。
n選構文とアフィリエイト
もっとも使いやすく始めやすい構文であるから、全く否定するわけではない。
オンライン上では検索結果や記事本文で”おススメ商品3選”やこのアニメが面白い理由3選というような文章を見かけるが、これもSEO対策として有効という風にいつからか言われる定型句となっている。
単独で見ればわかりやすい箇条書き、要点を絞った明瞭な文章して閲覧者にとってメリットが存在する一方”n選”という表現が優先される結果、ページの構成やそれまでの文脈から独立した不自然な文章や言葉使いとなってしまっている事もあり、表現として目につく。
アフィリエイトと特に相性が良い形式である。
結果として検索ニーズに全く役に立たない商品紹介サイトがヒットしてしまう。そして、中身は商品レビューにも届かない無意味な商品カタログとなってしまっている事も多い。
だいたいキュレーションされる製品は定番製品ばかりで本当につまらない。小学生にキュレーションさせたほうが個性が出そうだ
不要な圧縮によって齟齬のあるキャプションたち
インターネット上の記事見出しは特に重要である。仮に検索エンジンによって、検索結果の上位……検索リストの1ページ目に表示された場合でも、表示された後には同じく検索された競合サイトとの取り合いが発生している。
優先的に閲覧されるために視覚的に引きの強いキャプションを付ける事が、現実的な方法として採用され続けている。
結果として接続詞の間違いや省略、いわゆる悪意ある切り抜きが発生する。
とくに、新聞社のようなオールドメディアのニュース記事においてこのキャプション芸を披露しており、それが現在の環境を生み出していると一因があるのではないかと考えればオールドメディアには是正に一定の責任があるように思う。
キャプションが省略される背景としてはタイトルを一番最初に目にする事、システム的に検索結果や各メディアのキュレーションにおいてはタイトルの表示文字数に限りがある事が一因とみられるが、オールドメディアや大手サイト、SNSインフルエンサーを問わず制約の無い場面でも広く使われる手法となっており、悪影響が深刻な状態となっている。
ヤフーは十数文字で記事タイトルを書かせるトレーニングを行っているらしい
システムの都合やフォーマットの都合は前提にあるものの、十分な文字数で語弊のないキャプション表記が行えるような環境を整える事も手段としては可能ではないかと思う。その点での最適化を目指す責任はメディアにはあるのではないか。
誇張による喧伝
驚いた、凄いといった持ち上げはもちろん、ネガティブな誇張表現や怒りの感情を狙った表現はもはやいうに及ばない。
これらは特に短文でのやり取りがベースのSNS系メディアで顕著と言える。
これらはそもそも扱う物事について議論や理解を深める事を目的としておらず一時の感情への刺激や関心を呼び込むためでしかなく、つまるところユーザーが持つ場限りの関心を狙っている。内容に間違いや正確性に問題があってもそれは重要ではなく、そもそもコンテンツ自体も単にユーザーの反応を集めるための手段に他ならないからである。
間違いを指摘する事も、閲覧される事によって収益を得るシステムに都合よい。
ユーザーも本質的な問題意識ではなく、つつかれてくすぐったい程度の反射でしかないため、その内容が間違いだろうが気にしない。
どうせ次の日には忘れてしまっている。
AIの参入――競争を加速させてしまう
AIは敵ではないし、味方でもない。
SEO対策は本質的に、自分以外のコンテンツとの闘いでもある。
自分以外の存在を敵視した時、分かりやすい対象の一つに生成AIが存在している。はっきりいってクリエイターは生成AIに抵抗感が少なからずある。
しかし、とりわけ生成AIはこの戦いに決定的な影響はもたらしていないようにおもう。
もともとあまりにも沢山のコンテンツが世の中には氾濫している事を考えた時に状況が変わったとは言い難く、それらの消費者は、AIか人間かという点を常に意識して選別している人は少ないと思う。だが、インターネット空間においての本質を自分以外のコンテンツと闘う事だと考えるならば今後はAIとそれによってつくられる各種の生成物という敵が増えた事には間違いない。
現実的な問題として、生成AIがページや各種コンテンツを量産する事自体は脅威といってよい。なによりSEOに最適されたそれっぽい文章は題材を与えて書けと言えばすぐにそこそこの品質で生成してしまう。内容の正確性はともかく、それらしい物として検索エンジンが拾い上げるには十分なクオリティだ。
生成AIによる単独成果物以外でも、キュレーションという点でAIがよりSEOに適したコンテンツを選び出す事(ツイッターやYouTubeのアルゴリズムがいい例だ)や、ユーザーにSEO支援という形でコンテンツの評価を行う事、そしてSEOに適した形への書き換え提案を行うことが当たり前という状態になったとしたら、前述のフォーマットを踏襲したコンテンツが生み出される状況を助長しかねない。
改めて、人間が行う制作や創作という行為自体を見直す必要があるのかもしれない。
人間らしいコンテンツ作りはおそらくフォーマットや形式を守る事ではないのではないか。
倫理とフォーマット、本質の維持
最適化によって効率的にページビューやエンゲージメントを集める事が出来る一方で、より最適化されたフォーマットや方法論が浸透した結果、形式の目的化や商業的な都合によって生み出される作為的な構図が目立つようになってきた。
Googleは”EEAT”としてガイドラインを公開しており以下の要素を重要視するように掲げている。
Experience:経験 (従来のE-A-Tの下記三項に対し、後に追加された)
Expertise:高い専門性
Authoritativeness:権威性
Trustworthiness:信頼性
つまり検索エンジンサービスを行う側からの公式的な見解としてはSEOとはユーザーの検索意図を満たし、価値を提供する高品質な物を、検索エンジンが正しく理解・評価できる形に整える事、ユーザーフレンドリーである事、安全である事、一定の専門性がある事が必要だとしている。
さらに、昨今はAIの普及によって画一的な記事が氾濫しているとされている中、Experience(経験)が重視されている点は示唆的と言えるかもしれない。それは非肉体的、非経験的なAIという存在に対し、人間が制作して公開する事の意味や意義、その一つの要素として現実に存在している個々人の経験や過去の物語に求められているのだ。
基本的にAIは非存在の物だ。だからこそ人間という実在によるコンテンツを重視したいというわけだ。
それでもAIをコンテンツ制作に部分的に参画させる事は否が応でも増えるだろう
終わりに
最適化によって内容よりも最初の入り口(表示される事、クリックされる事、反応をとにかく得る事)が重視されてしまっているものの、EEATを信じるのであれば検索エンジンやアルゴリズムはそれぞれの内容を全く考慮していないと言うわけでもないらしい点については希望が持てるかもしれない。
コンテンツを制作するにあたって制作者は可能であれば倫理観を持って内容の充実を図る事が求められるが、ユーザーにおいても安易なSEO対策による誘導に乗せられ過ぎない審美眼も必要かもしれない。
悪意のある形で反応に特化したものが淘汰されないのであれば、それはユーザーの需要を満たしているからであり、結論としてユーザーは悪意のある内容でも一定の需要を満たせられるし、それ以上の物を必要としていないと言う事に他ならない。
受容にあたってはフォーマットの意図する所を踏まえる事、コンテンツの発信者でなくともこれらの最適化された形式が利用されているのかは踏まえる事がリテラシーの醸成や審美眼を養う事につながるのではないだろうか。
一方で、自身のコンテンツが全く公明正大と言いたいわけでもないのである。
重要な事は、SEO対策は既に人間の行動をいいように扱うフォーマットがある程度できてしまっている事、そして自身がそのフォーマットに乗せられているであろう事を自覚する事が重要であり、可能であればコンテンツの受容者も発信していく必要があるかもしれない。
が、そうして自身の問題意識を整理して何らかの表現として発信するのであれば、やはりSEO対策は無視できない重要な要素の一つとして浮かび上がる。
かんじがらめの連鎖ながら、コンテンツの内容こそを本質とするならば形式化されたフォーマットを利用する事は悪い事はない。
フォーマットへの最適化は倫理観によってブレーキをかけつつも利用し、内容に力を入れる事が重要だ。
フォーマットは、内容に力を割くための効率化手段として活用する事でコンテンツの質面の維持に使うのが良い形かもしれない。